自分はゲームがめっちゃ好きで、
特によくやってたのは小学生から中学生にかけて。
高校生に入ってからはちょっと考えが変わったからあんま入らなくなっちゃったんだけれども。(その辺りは後述)
小学生から中学生にかけて特によくやってたのは、スマブラとポケモン。
スマブラは小6からの一年半で3000時間やった思い出。
当時小6のとき、リビングのルーターがwi-fiが使えることに気づき
勝手に Wii と wi-fi を接続して。
(今となっては wi-fi の設定なんて楽勝すぎだけど、
小6にとっては意味不明だしめっちゃむずかった)
あとはネットの掲示板で対戦相手を探して、
ひたすら画面の奥の高校生とか、19歳ゲーマーとかと毎日毎日ひたすら戦い狂ってた。
結果、一年半くらいで3000時間ぐらいプレイしたなと。
中学に入ってからもしばらく続けたけど、なんか飽きてしまってフェードアウト。
ポケモンに関しても1500時間ぐらいやってた。
- ダイヤモンドパール
- ハートゴールド
- バトルレボリューション
- ブラックアンドホワイト
あたり全部合わせて1500時間ぐらい。
ポケモンに関しては、自分は幼稚園生のころからパソコン少年だったから
小学生の時点でパソコンでググって、
ポケモンのステータスがどういう計算式で決まるのかとか、
どうやって育てるのが無駄なく強い個体に育つのかとかを調べて、
これまたネットの掲示板で対戦相手を探しては毎日毎日画面の奥の謎のゲーマーたちと戦い狂ってた。
普通の公立中だったから確率の勉強するのは中3?だけど、
ポケモンで勝率を上げるには確率の計算ができたほうが絶対に良いので、中1の時点で「ポケモンで使うから!」という理由で自分で確率について勉強し、
使えるようになったのも懐かしい。
ポケモンは今でこそ個体値がグラフで見れたり、
努力値の配分が見えたりと親切設計だ。
しかし、当時のダイパ世代のポケモンは不親切極まりなかった。
個体値や努力値という概念はパソコンで調べなければ絶対に知ることはなかったし、
個体値を調べるのにもDSを2台用意して wi-fi 経由で対戦し、
ポケモンのレベルを100にすることによって個体値を調べる…とか
かなりめんどくさいことをやらなきゃいけなくて大変だった。
(あと乱数調整もやってたな。これは通じる人にしか通じないと思うのでよくわからなかったら読み飛ばして。乱数調整もダイパ世代は最強にムズくて、16進数の出てくるわけわからない計算をしなきゃいけないし、わずか2フレームしかないタイミングで目押しでソフトを起動させなきゃいけないし、しかも起動したときの画面内に動くモブが5体いて、モブの動きで乱数が変わるからタイミング合っててもモブの動き次第で当たりの乱数引ける確率が下がるとかいうかなりのイライラ仕様だった記憶がある。その点ハートゴールドまで行くと目押しとかがむずいのは相変わらずだけど画面内モブの数が2体に減るのでそれだけで相当やりやすくなった記憶。というよりダイパの乱数調整がむずすぎた。)
そういう世代のポケモンだから、小6のときの自分の周りには努力値や個体値の話が通じる人間が一人もいなかった。
「伝説禁止・レベル50フラットで戦うのがスタンダードだ」
という概念も誰も持っていなかった。
だから、自分は「競技としてのポケモンバトルのスタンダードに沿ってポケモンを選び、育てる」ということをやっており、
周りがただ遊びで何も考えずレベル100にして、何も考えず伝説ポケモンを使っているのよりかは、明確に一段上のステージにいた。
しかし、そのすごさが、周りの友達にはたった一人として、誰にも通じなかった。
「ガブリアス?そんなんどうでもいいからディアルガとアルセウス使おうぜwww
レベル上げ?学習装置つけて適当に戦っておけば勝手に上がってるよwww」
みたいな。
東工大のすごさが伝わらず
東工大生「東工大、あっ、東京工業大学です」
伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」
ってなるみたいな、そんな感じ。
高校以降ゲームのやりこみ要素をやらなくなった明確な理由
あとは、高校に入ったあたりであまりゲームをプレイしなくなったことについて。
やっぱ自分がめっちゃゲームやってたのって小中のころで、
高校入ってからあんまやらなくなったんだよね。
スマブラとポケモンはオンライン対戦できるということもあって、何千時間とやってたけど
対戦要素のないオフラインのRPGでも、小中のころは一本買ったら100時間はやってた。
一番長くやったのはゼノブレイドで、オフラインゲームだけど250時間ぐらいはやった。
このころの自分は
「ゲームを買ったらやり込み要素までやり尽くすことこそ玄人でかっこいいんだ」
という価値観を持っていた。
ゲームを買って適当にストーリーパートをクリアしたら「飽きた~ww」とかいう周りの子供に対する逆張りだった。
なんだけど、高校に入ってからはやり込み要素をやることをほとんどしなくなった。
RPGは20時間から30時間ぐらいでストーリーパートをサクッとクリアして
「あー楽しかった!」と満足して終わり。
これはなんでかって言うと、
中3、あるゲームをやりこんでるときふと〝虚無感〟を覚えたのがきっかけだったりする。
やり込み要素をプレイ時間が100時間を超えるぐらいまでひたすらやり続けてたわけだけど、
ある時ふと
「これって惰性でやってないか俺…?」
と思う瞬間が来たのである。
確かに、やりこんでる時間はつまらないわけではない。
そこそこ楽しい。
しかし、猛烈に楽しいわけでもない。
ストーリーパートはめちゃくちゃ楽しい。
けど、やり込み要素は「まあ悪くないかな」ぐらい。
この時気づいてしまったのが、
「やり込み要素って、人間の収集癖とかコンプリート欲求とか、
そういう人間の本能的な欲求の部分が刺激されるからかろうじてギリギリ楽しいだけであって、
ゲーム自体は楽しくないんじゃないか…?
別にゲームから楽しさを享受してるわけじゃないのではないか?この時間は。」
と、ふと気づいてしまったわけだ。
ストーリーパートは逆だ。明らかに楽しい。
新しい仲間。新しい街。新しい武器。
新しく使えるようになったアクション。先が気になる展開。
圧倒的に面白い。
ストーリーパートをプレイしてる間は、
俺は確かにゲームから面白さを享受している。
ゲームが俺を楽しませてくれている。
ゲームというコンテンツを消化して楽しんでいる。
んだけど、やり込みパートはどうだ。
別にゲーム自体はそんなに俺に楽しさを提供してくれていない。
というよりかは、自分が人間として本能的に持つ収集癖とかコンプリート欲求とかを満たしてるから自家発電的に楽しんでるだけで、
これってめちゃくちゃ薄い時間だな…と。
ストーリーパートをプレイしてる間は、ゲームのクリエイター達が作ってくれたコンテンツを消化して、ゲームが自分を楽しませてくれている。
けど、やり込み要素に入ってからは、ゲームが楽しませてくれてるわけじゃなくて
自分が自家発電的にかろうじて楽しんでるだけなんじゃないかと。
であれば、やり込みをしガン無視して
ストーリーパートを20時間とか30時間でサクッとクリアして濃い時間を楽しむ。
そしたらまたすぐ次のゲームに行って、ストーリーパートを20時間とか30時間で楽しんで、また濃い時間を楽しむ、ということやった方が良いじゃないかと。
(かつ、高校生になって使えるお金が増えたことがまたこのゲームのプレイスタイルを可能にした。)
そういうわけで、高校生以降はあんまやり込みはしないです。虚しいなと思うようになっちゃったので。
ただ、今でもゲームは好きだし、
気になったゲームに関してはストーリーパートだけサクっとプレイして「あー楽しかった」ってライトにプレイすることはあるという、そういう感じ。
まさかゲームに関してこんなに長くペラペラと語ることが出てきたとは。
おしまい。