善意と隙について。
アンケートを1回取ってみたら、前に「善意と隙についてというお題が気になる」という声が多かったので、今回書きます。
多分、「善意と隙について」この言葉を聞いただけで、なんとなくピンと来てる人は来てると思うんだよね。(だからこそ人気のあるお題なのではないかと思う)
日々生きてく中で、多くの人がなんとなく薄々感じてることに切り込んでいきたいと思います。
ちなみに端的に言うと囚人のジレンマ的な話になるのだけれども、
今回は囚人のジレンマという言葉を使わずにこの「善意と隙」について考えてみたいと思います。
「あ、今この瞬間、つけ込めるな」と感じたら、立ち止まって欲しい。そのとき相手はあなたに善意を見せている
もし、生きていく中で「あ、ぶっちゃけ今この瞬間つけこめるやん」と感じたときは、
ここで相手のことを「チョロwww」とか「カモじゃんwww」とか思うのではなくて、
「そのとき相手はあなたに善意を見せている」
というこの言葉を思い出してもらえると嬉しいです。
ほとんどの場合において、何かつけ込める隙があるときは、
相手があなたに善意や信頼を見せているときです。
そもそも相手があなたに善意や信頼を見せない場合、そもそもつけ込む余地が生まれません。
いくつか例を挙げてみます。
例えばみんなでバーベキューするときに積極的に準備してくれる人とか、ご飯食べてるときに積極的に取りわけてくれてる人とか、積極的に空いたグラスに飲み物入れてくれる人とか。
これもその人の「まわりのみんなのために」という素敵な心意気なわけですよ。
ただ、こういう人を見たときに何を勘違いしたか、「めっちゃパシれるやんこいつ!」的なことを思うひどい人がたまにいるわけですね。
やっぱgiver気質で底なしに優しくて率先していろいろやってくれる俺の友達が、勘違いしてつけあがる初対面の謎のやつに雑用全部まかされそうになってるとかそういうの見ると「おいお前人の善意をなんだと思ってるんだ」って止めに入ってしまうわ。ぜったい許さん。
— 鶴山英樹🌙ミスターコン (@mr04todai2020) May 3, 2021
これは善意によって生まれた隙につけ込んでいる例です。
その人が「みんなが喜んでくれるといいな」みたいな善意を見せずに、ただ黙ってスマホをいじっていればそもそもこんなふうに舐められることもなかったわけだけど、
優しさを見せるがゆえに、そこにひどい人がいた場合につけこまれてしまうわけですよ。
向こうが隙を見せたときにそこにつけ込むというのは、ただ悪さをしてるというだけではなく
向こうの善意を踏みにじってるという悪さポイントも加点(減点?)されるので
やってることとしては「ちょっと悪いこと」どころの話ではなく、「相当卑劣度の高い外道行為」と言えます。「卑劣ランクA」とでも言うべきことでしょう。
他には、いつもめっちゃ威圧的な先輩に対しては失礼なことしないけど、
こっちのことを気遣って優しく接してくれる先輩に対して、だんだん舐めた態度をとるとかもそうですね。
お金を立て替えてくれるとかもそう。本当に隙をなくそうと思えば、最初にお金を徴収して確保しておくというのが安全なわけだけど、
そうじゃなくて「まあ大丈夫だろう」と信頼してくれていたからお金を立て替えてくれたと。
ここでも隙が生まれるわけです。後になってからお金返さないとかね。
後はいちいち見栄をはるようなことをわざわざしない人に対して、勘違いしてマウントとりにいくとかもよく見る光景ですね。
あと「不義理」と呼ばれるもの全般は基本的に「善意につけ込む」構図になっているものがほとんどです。
ありのまま生きることは素敵なことだとは思うけど、
残念ながらこの世界だと本当にありのまま生きていると、悪意ある人間によって不利益を被ることも十分にあると感じます
そこで自分が線引きとしているのが「戦略的に生きつつ、不義理はしないと決める」
これが人として一番善いのではないかなと。— 鶴山英樹🌙ミスターコン (@mr04todai2020) March 30, 2021
とはいえ世の中を見渡してみると、不義理ハックによって成り上がっている人間がいるのも事実なので、なんだかなあと。
このあたりの選択は、各々の己の人生に対するプライドと生き様の問題ですかね。 https://t.co/yLTHXeFmRe
— 鶴山英樹🌙ミスターコン (@mr04todai2020) March 30, 2021
ただ不義理ハックは周りから人がいなくなると思うんですよね。そこでやはり大事になってくるのが「不義理をしないこと」かなと考えています。 https://t.co/Fdx8bckEnj
— 鶴山英樹🌙ミスターコン (@mr04todai2020) March 30, 2021
「善意」VS「裏切り」が戦うと「裏切り」が圧倒的に強い
ここで、善意と裏切りをバトルさせた場合、裏切りの方が圧倒的に強いという話をします。
(ゲーム理論で言うと「絶対優位の戦略」というやつです。)
- 「優しくて隙を見せる人間同士」が関わった場合
- 「優しくて隙を見せる人間」と「隙を見せず、逆に相手に隙があったらすかさず裏切る人間」が関わった場合
- そして「自分は隙を見せず、逆に相手に隙あらば裏切ろうとする人間同士」が関わった場合
を考えてみましょう。
①「優しくて隙を見せる人間同士」が関わった場合。これは平和に上手くいきます。
②「優しくて隙を見せる人間」と「逆に相手が隙あらば裏切ろうとする人間」が関わったら、これは隙あらば裏切ろうとする人間が一方的に勝ちます。
③「隙は見せず、逆に相手に隙あらば裏切ろうとする人間同士」が関わった場合は、
お互いに隙がないので、何も起こらずに終わります。一応「上手くいっている」と言えるでしょう。
わかるでしょうか。
優しくて隙を見せることは、「自分が不利益を被る可能性が出てくる」のに対して、
常に裏切ろうとする動きをとることは、これ「負けない選択肢」なんですよね。
出し得な選択肢。安牌な選択肢なわけです。
自分が優しい人間だった場合、相手も優しい人間だったら問題ないですが、
相手が裏切ってくる人間だった場合、不利益を被ります。
逆に自分が裏切る人間だった場合、対峙した相手が優しい人間だった場合は勝てるし、
対峙した相手が裏切る人間だった場合でも、問題なく進むわけです。
つまりは隙あらば裏切るという行為は、
グーとパーしかないじゃんけんでパーを出し続けるようなもの。絶対負けないんですよね。
出し得、裏切り得と言えるわけです。
拳銃をつきつけ合った人間関係
もちろん常に人の隙を見つけ次第つけ込む動きをすることで、「負けない人生」というのは作ることができます。
しかし、ここには重大な欠陥があって、
それは「常に拳銃を突きつけあっているような人間関係しか構築できない」という落とし穴があります。
確かに、優しい人間と優しい人間が関わったときは何も問題が起こらないし、
つけ込む人間とつけ込む人間が関わってるときも、何も問題は起きません。
これ、一見同じに見えるようにかもしれませんが、
中身は全然違っていて、
優しい人間と優しい人間の関わりは、拳銃を捨てた人間同士の関わり合いといえるでしょう。
一方で、つけ込む人間とつけこむ人間の関わりは、常に拳銃をつきつけ合っているような人間関係と言えます。
拳銃を突きつけあっているような人間関係なんて、嫌じゃないですか。
仕事関係とかならまだしも、仲間・親友・家族・恋人とかと拳銃突きつけあったような関係で人生過ごすなんて、めっちゃイヤじゃないですか?
俺はそんな人間関係しかないんだったら、殺伐としていてすごく悲しいことだなと感じます。
拳銃を下ろせない悲しさと、だからこそ裏切らない関係の尊さ
ただ、ここで「拳銃を下ろせない悲しさ」という問題が出てきます。
散々説明した通り、基本的には拳銃は持っているもん勝ちです。
おろした方は一方的に撃たれる可能性が出てくる。
だから、同時に拳銃を捨てることができたら問題ないのだけれども、そう上手くもいかなくて、
そもそも片方が拳銃を捨てる気がさらさらなかったり、
場合によってはお互い同時に捨てるふり、からの、片方だけ実は捨ててなくて、相手が捨てたタイミングですかさず撃ってくるようなこともあるわけで。
(マジでめちゃくちゃ信じてた相手にお金の管理任せてたら飛ばれたとか。)
という感じで、拳銃をおろすのってものすごく大変なわけですよ。
牧野とよく話すのが「本当は拳銃なんて持ちたくねえよな」ということ。
「だけど持たざるをえない場合も、あってそれって悲しいことだな」というのをよく話しています。
(神社でそのこと話してたら深夜から朝になっていた、の図)
もし拳銃を捨てたのがこっちだけで、向こうが実は捨てていなかった場合、こっちが一方的に不利益を被ることになるわけだし、
「同時に拳銃捨てよう」と言っても、向こうが捨てるふりをしただけで実はその後も持ち続けるかどうかなんてやってみないと分からないし。
だからこそお互い拳銃を捨てた先には、もう拳銃を突きつけ合う必要なんてない、信頼で成り立つ世界が訪れるわけで、素晴らしいわけですよ。
やっぱこういう拳銃のない世界がいいよなあというのが、牧野と常々話していることのうちの一つです。
せめて自分の周りだけでも拳銃のない理想郷を作りたい
やっぱ、せめてね。
自分の周りだけでも、拳銃を持たない人間だけで成り立つ理想郷であって欲しいんですよね。
世の中たくさん人がいるわけだし、世界全体を理想郷にするのは無理でも、せめて自分の周りで関わり合う人間同士だけでも、お互い拳銃を捨てた人間同士だけで関われる世界を実現したいなというようなことを常々思っています。
「思っています」って書いたけど、わりとすでに実現しているかもしれない。
こんな感じのことを思い始めたのは、高校2年生ぐらいから。
そっから日々常々こういうことを考えながら生きてきたから、類友って言うけど自然と関わる人も善良な人が増えてきて、
最近で言うと拳銃を捨てた世界もほぼほぼ実現しているんじゃないかなっていう感じが。周りの囲まれてる人たちを見ていて思います。みんないつもありがとう。これからよろしくお願いします。
ということで、善意と隙について書いてみました。
アンケートでも人気のあったお題だったから、みんな生きてく中で薄々こんな感じのことは感じてたのではないだろうか。
「まさにそういうこと思ってた!」みたいなのあったらDMで教えてくれると書いた甲斐があるので嬉しいです。
あとは「いまつけ込めるやん!」と感じたときに、「相手はあなたに善意を見せている」という言葉を思い出して、人の善意につけこまない人間が世界に一人でも増えたら、俺としてはめっちゃ嬉しいです。
おしまい。