洗練さとは何か──
洗練されているってかっこいいよね。
俺もスマートで洗練された存在、洗練された男でありたいと常々思っているよ。
だけれども、ここで
「そもそも〝洗練されている〟って、どういうこと?」
という話になるわけです。
一応辞書的な意味を調べると
《名・ス他》優雅・高尚なものにすること。あかぬけした、みがきのかかったものにすること。
とあります。
うーん、なんとなく分かるような、あんま分かんないような。
ということで俺の思う〝洗練されている〟とはどういうことか、というのをここに書きます。
洗練されているとは、ズバリ
「ハイレベルなことを、力を抜いてさらっとこなす様子」かなと考えております。
「そんなハイレベルなことを、そんな軽々とこなしちゃうの!?」
というのが〝洗練〟だと思うわけです。
例えば、おしゃれな服を着ていたとしても
- めちゃくちゃ気合の入りまくってるのが伝わるファッション
- 洗練されたファッション
って、
やっぱ気合の入りまくってるのが伝わるファッションのほうは「頑張ってる感」が出てるけど、
洗練されてるファッションって
「いや、別に生まれたときからこれ着てますけど…なにか?」
みたいなオーラ出てるじゃん。
よくそんなセンスよく全体をさらっと調和させられるな、と。
あとは「洗練された動き」という言葉もあって、
洗練されてない動きは、変にりきんでいるというか、
まあ「その動きを習得しようと頑張ってる段階」なわけだね。
一方で、その動きを完全に体得したら、変な力も入らず、洗練された動きへとレベルアップするわけだ。
他には例えば、
「行きたい業界・企業があるから本気で頑張って、
死に物狂いで泥臭く内定をもぎとろうと頑張る就活生」
ここに洗練さなんてものは一切ないわけです。
(ただ、洗練されていなくても、泥臭く頑張るということはとても尊いものだと俺は思うけど。むしろこっちが今回の話のメイン。後述。)
ていうことを考えると、「洗練されている」とはどういうことかというと、
「レベルが高いことを、あたかも楽勝かのように行うこと」というのは合っているかなと。
で、じゃあ洗練さを表現するには
人に見せたいこと以上の「圧倒的な実力」が必要になるわけです。
「自分の本気の80%くらいの力しか出してないから肩の力抜いてやってるけど、楽勝で100点出る」
という状態になる必要があるので、
実力で言うと「見せたいこと」よりかもオーバーな実力が必要になるわけですね。
となると、洗練さを出すためには、
もうこれはカッコ悪くても何でも、全力で泥臭く日々頑張り、自分のレベルを底上げするしかないわけ。
洗練さを醸し出すためには、
その裏側で洗練さとは真逆の、泥臭い日々が必要になってくる
というわけですね。
その泥臭い日々というのは、
人に見せてもいいし、
人に見せないで水面下で全力バタ足しているのでもいい。
その辺りは人の好みだと思うけれども、
毎日毎日全力ジャンプして、0.1cmでも高く飛べるようになることを日々目指して頑張り、
ダサくて不格好でも、全力出せば120cm飛べるようになったところで、
周りの人間に「100cmぐらいなら楽勝で飛べますけど?」という様子を〝お披露目〟する。
これで初めて〝洗練さ〟を演出することができるわけです
ということで、洗練されているものと言うと「スマートで上品なもの」というイメージがあるわけだけれども、
洗練さを演出したいのであれば、
その真逆の「かっこ悪くてもダサくても、少年漫画の主人公みたいに全力でぶつかって泥臭く頑張る過程」が絶対必要になってくるし、
そこをショートカットして、楽して洗練さを出そうとする人間には、永遠に洗練された雰囲気は醸し出せないと思うのです。逆説的だけれどもね。
からの、最後に伝えたいこと。
洗練されている様子はかっこいいよ。もちろん。俺も好き。
だけど、不格好でダサくても、全力でなにかにぶつかっている人を見たときに
「ほんとうにカッコいい」
と感じられる視点もみんなに持ってもらえるととても嬉しいです。
多くの人は、
やっぱ泥臭いものより、
洗練されたものの方が「かっこいい!素敵!大人っぽい!」と思うかもしれない。
目をキラキラさせてそっちに魅了されてしまうかもしれない。
泥臭いこと、余裕のない様子を下に見てバカにする時期があるかもしれない。
けど「洗練されている」ということは、その時点で言ってしまえば「演出」「飾り」を含むわけですよ。
肩の力を抜いて、演出を挟まないと洗練された雰囲気って出ない。
逆に言えば、人生かけて何かをやってるときとか、死に物狂いでなにかに向かって頑張ってるときとかって、洗練さのかけらも出ないわけよ。
こういうとき、パッと見ると
洗練されてるほうがかっこいい、泥臭くて不格好なほうが余裕がなくてダサい
って思っちゃうかもしれないけど、
俺は、全身全霊をかけて本気でやっているときこそ、
その人の、作り物ではない、
嘘偽りない人間性・本心・本性・人間的魅力の全てが出ると思うし、
めちゃくちゃ尊いことだなって思うわけ。
だから、もちろん洗練さも全く悪いものではないのだけれども
泥臭く頑張っている人を見たら、
「必死でダサい。」「洗練されているあの人のほうが素敵」とか思うのではなくて
「全力でぶつかっていて本当にかっこいいな」と感じられる、
そういう視点を、みんなも今日から身につけてみてもらえれば、それって素敵なことだし、とても嬉しいな思います。
おしまい。