未分類

一人で考えごとをし続けると陰鬱になる人間のシステムと、ディスカッションなら陰鬱にならないわけを自然淘汰から考えてみる

はい。今回は、

「人間が一人で悩むと、どんどん陰鬱な方向に向かってしまう理由」

というところについて深く考えていきます。
(かなり自戒もこもっている内容になりますが。草)

ある時、自分気づいたんですよね。

(もしかして人間って、考え事を一人でしてると
無条件でどんどん気持ちが暗い方向に行くようプログラムされてないか…?)と。

たとえ考え事の出発点が「今年はどんなことをしようかな~♪」みたいな明るい内容からスタートしたとしても、
考え事を進めてるうちに、いつも気づいたらなんか暗い気持ちになってる…

これは、人間は一人で考えると暗い気持ちになるプログラムが施されているに違いない!

けど、なんでだろう?

みたいなことを考えたところから始まります。

で、個人的な推論として

「一人で黙々と考える人間は、人類の発展の過程で生き残る確率が低かった個体たちである」
という自然淘汰圧的な部分から、こういう感じの人間の仕組みになってるのかなあという結論に至ったので、

今回はその辺りを文章にしてみます。

別に明確なソースとか引っ張ってきてるわけじゃないので、
ロジックとしてはガバめなので軽い読み物として楽しんでね。

とはいえ、ある程度以上的を得ている内容なのではないかなと。

実際、今回の内容から

「なぜ哲学者や文豪やアーティストや、あと心配事や不安事がほとんどなくなった経営者とかが突然自殺に至ることが多いのか」

といったあたりも見えてくる部分があると考えています。

あと、できればさらにそっから先、

「宗教の最小構成単位は何かしらの価値観」で、

「一定の方向性で価値観を体系化したものが宗教」で、

「宗教の〝救い〟の正体は、思考停止による幸福度の向上である」

といったところまで話を展開したいのだけれども、
そこまでいくと流石に長くなりそうなので、その辺りはまた別の記事で書こうかなと。

では続きを書いていきます。

人間は一人で考え事をすると陰鬱になる生き物。そういうもん!

とりあえず、今回の記事では

「人間は一人で考え事をし過ぎるとどんどん陰鬱になる生き物である」ということに決めつけて話を進めていきます。

別に明確なソースがあるわけじゃないんだけど、
とはいえ一人で考え事してるとどんどん陰鬱な気持ちになるというのは、経験則としてみんな感じてることだと思う。

感覚的にみんなも「まあそうだよね~」というのには納得してくれるかなと。

暗い内容について考えてたら気分も暗くなるのは当然として、

そうじゃなくて、最初は明るいことを考えてたはずなのに、
考え事を進めてるうちに、なぜかいつのまにか暗い気持ちになってしまっていた…

といったような経験を繰り返すと、これはもう

「人間は一人で考え事をすると気持ちが暗くならざるを得ないようにプログラムされているのではないか」

としか考えられなくなるわけです。

人間の強みは「考える力」なのに、考えると気分が沈むのはなぜ?

ただ、ここで「なんか変だな」という違和感が出てきます。

何かというと、

「人間の強みって思考力だから、どちらかと言うと思考を働かせて考えごとをすると嬉しくなる方向に人体がプログラムされている方が自然じゃないか?」と。

しかし、実際は逆で、一人で黙々と考え事をするとどんどん気分が沈む方向にプログラムされているのは

「人間の強みは思考力である」という部分と噛み合ってない感じがするわけですね。

そう言えば話し合いならそんな気持ち暗くならないな…

ここで、自分はあるひとつの仮説に至りました。

それは何かというと、

「一人で黙々と考えごとをすると気分はどんどん沈むけど、
人と話し合って考える(ディスカッションする)ときは、気分が暗くならないようにできるのではないか」という仮説です。

これも、あなたも経験あるのではないでしょうか。

一人で考え事してるとどんどん気分が沈んでいくのに、

人と話して考え事しているときは、たとえ深く考え事をしたとしても暗い気持ちになることはほとんどないと。

例えば自分の場合だったら、親友の金子とは
会ってるときも、電話でもよくめっちゃ話すのですが。

(金子も考え事好きだからね。二人で話し始めると考察が止まらなくなってつい長電話になってしまうのだよねいつも。)

 

あと牧野ともよく無限に話します。

(この日は牧野と神社で話してたら時間経ちすぎて完全に朝になってた)

ここで、金子や牧野と話してる時とかは、

めちゃくちゃ深いところまで考えてるのにも関わらず、全然暗い気持ちにならないなーと。

自分一人でここまで考えたら絶対暗い気持ちになるのになぁ?ということに気づいたわけです。

人間のもう一つの強みは「社会的生き物である」こと

ここで、人間のもう一つの強みは「社会的生き物で、組織で動く生き物であること」ということに考えが至ります。

だから、考え事をするにしても人と話し合ってディスカッションする社交的な人間は生き残ってきて、

一人で考え事をする非社交的な人間は滅んできて、という歴史を辿って

人と話し合うときは気分が上向くし、

逆に一人で黙々と考えると気分が沈むというようなプログラムになっているのではないかと考えたわけです。

人間の圧倒的強みの一つは社会的であることです。

人間は一人ではできないことでも、みんなで協力することによって、
他の動物だったら絶対できないような凄いこともできるようになって、繁栄してきたという歴史があるわけですね。

そもそも単独行動する動物は、自分一匹でできることにも限りがあるわけで。

ほかには人間以外にも、狼みたいに群れを作って
いい感じに協力し合っていい感じに団体戦で生き残っていく生き物もいるわけだけど、

やっぱり他の動物と比べて、人間だけは圧倒的に高いレベルで「組織で動く」ということができるわけだね。

(↑狼や猿にこんなすごい連携プレイができるだろうか。できるわけがない。)

だから、他の生き物は毎日毎日食料を調達するしかないところを、

人間は役割分担して組織で動いて「農耕」とかいう大規模なことができて、
食料調達の心配がほとんどなくなって、飢え死ぬ危険性が大きく下がって、
他の生き物以上に発展していくことができたという流れをたどって来てるわけで。

もちろん今の世の中も、人間が組織で動くからこそ成し遂げられてることで溢れています。

例えばユニクロという大きな企業だって、たった一人の人間であの会社全体の仕事をこなすことなんて絶対無理だし。
逆に、会社で組織として動くことで、あそこまで大規模な仕事ができてるわけで。

駅前にあるビルとかもそうだよね。たった一人の人間であんなの建てられるわけがない。
組織として動けるからこそあんな凄まじいものも建てられるわけで、

(ちなみにこれは大手町タワー。)

他の動物と比べたとき、人間は「社会的生き物で、組織的に動くことができる」というのが圧倒的な強みなわけです。

ここで、「組織で動く」という部分から見ると、

社交的な人間はマッチしてるわけだけど、

社交的じゃない人間は、人間の強みとマッチしないわけだよね。

だから、考え事をするにしても
積極的に人と話し合う社交的な個体は生き延びてきて

逆に自分一人で黙々と考える非社交的な人間は淘汰されてきて、

結果、一人で黙々と考えると、どんどん気分が沈んでしまう今の我々のDNAが出来上がっているのではないか。

というのが自分の結論になります。

まとめ:人間は一人で考えると気分が沈む生き物だと割り切って生きていこう

といったあたりから伝えたいこととしては、

「人間は一人で考えると気分が沈む生き物だよ」と割り切って生きていこうということですね。

一人で考えごとをしているときに、どんどん気分が沈んでいってしまって、

「私ってやっぱ悲観的なのかな…」とか
「なんでいつもこんな悪いことばっか考えちゃうんだろう…」とか悩むのはやめて、

「人間ってそういうもんだから仕方がない!私のせいじゃない!どうしようもない!」
と割り切っていいよと。

 

もし、今この記事を読んでるあなたが

ついつい一人で考え事をしてしまうことが多くて、

で、どんよりとした気分になることが多くて、

それで悩んでいるのであれば、

もう「なんで私ってこんなに悲観的になっちゃうんだろう…
やっぱ生まれつきネガティブなのかな…」とか、そうやって自分を責めるのはやめて、

「そもそも人間は一人で考え事してると気分が落ち込む生物なんだよ」ということを理解しようと。

で、なるべく一人で考える時間を減らして、友達と話し合う時間を増やすことで、

この記事をきっかけに、ちょっとでもラクにいい感じに生きられるようになったとしたら
めっちゃ嬉しいです。

 

今回の記事の内容は、やっぱりあながち間違ってないと思うのだよね。

人間は一人で考えすぎると有無を言わず気分が沈む生き物であると考えると、
歴史上の哲学者とか文豪とかアーティストとか、一人で自分と向き合う時間が長い人間が
突然の自殺をすることが多いのも納得がいくし、

(芥川龍之介です。35歳で自殺。)

浪人生の中でも特に宅浪で一人で部屋で自分と向き合う時間が長い人間が特に精神的にきついのも納得いくし、

色々と不自由がなくなって、めっちゃストレスフリーな生活を送ってる経営者が、
突然激病みしだすことがあるのも、
目先の「とりあえずこれをどうやって解決すればいいかさえ考えていればOK」という悩みがなくなったことで、
悪く言えば「無駄に考え事をする脳のスペース」があいてしまって、

結果、一人で考え込みやすくなって激病みするのかなといったことを考えると、
やはり今回の内容ってある程度的を得ているではないかなと思うわけです。

で、冒頭に書いた通り

宗教の〝救い〟とやらの正体なんだけど、

自分の行動や考えに疑いの余地をなくすことができるのが宗教で、
疑いの余地をなくすことでの、思考停止による幸福度の向上こそが宗教の〝救い〟の正体である

みたいな話もしたいわけだけど、
めっちゃ長くなるのでまた別の記事に書きます。

というわけで、若干話が散らかったので、
最後にもう1回、さっきも書いたことだけど、

今回の記事で伝えたかったことは

「人間は一人で考えると気分が沈む生き物」ということを理解しようということと、

もし、この記事を読んでいるあなたが、
一人で考え事して気分が沈むことが多くて、

さらにそこで「はあ~なんで私ってこんな悲観的なんだろう…生まれつきネガティブなのかな…」
みたいな感じでまたさらに落ち込み…

ということを繰り返しているのであれば、

それはあなたの性格とかのせいじゃなくて、
自分を責めるのはやめて、

「人間は一人で考え込むと気分が沈むように出来てしまってるから仕方がないんだよ」というのを理解して、

なるべく考え事するときは人と話して考える機会を増やすようにして、

ちょっとでも人生の幸福度が、この記事をきっかけにして上がったらめっちゃ嬉しいです。

おしまい。

 

 

続きの「価値観と宗教」とかの記事も楽しみにしててください。

(例のごとく

「いや~確かに一人で考え事をしてると気分沈むわ~。なるほどね。」みたいな感想のDMは歓迎です。)